2月16日(火)嫌なこともいろいろあるけれど楽しいこともいろいろある

本日も文書読みをあれこれとおこない、邪悪とのたたかいとして、避けるだけでなく、注意深く拒むことからたたかうことへの転換に考えをめぐらしつつ、事務所へ出掛けて午後4時から労働者後援会の事務局会議に出席させていただき、歩いてイーブル名古屋へむかって第95回栄総行動第2回実行委員会に出席しました。交通費は、270円×2におさえ、540円でした。朝は緑茶200㏄のみ、昼はおもち2個入りぜんざい1杯で500円、夕食は鯖の煮付け、もやし炒め、トーフの辛い煮付け、ご飯と麦のジュースで1,150円

食費の小計は1,650円で支出計は2,190円でした。

 

彼らにとっての「正義」が仮にあったとしても、自分はそれを邪悪ととらえていますし、真実においてそれなりの理由があり、その人間性や心情や「アクション」について許せないという怒りをもっています。けれどそれだけで生きているわけではないため、そんなことコップの中の嵐で、ばかばかしくて話にならない、という気持ちもずっとあります。分かってくれる人もいますが、分かってくれない人もかなりあり、こちらとあちらは互角かも知れません。分かってもらえる人ばかりではないところに、自分の弱い部分があり、克服しないといけないところがあります。でも、分かってくれる人は今年か来年には覆せるだけの闘争をしてほしいと、強く望まれています。どうしようかな、ちょっと困ったな、やっちゃおうな、もう一年辛抱してもいいかな、と思いはゆらゆらと。たたかいはじめると、そうやすやすとはおさまらんでしょうな。

 

なんのことかわかんないですね。そう、ドストエフスキーの小説の登場人物の中で自分が一番好きなのは、『白痴』のムイシュキンなのです。最後は頭おかしくなってしまう人ですかね。自分は、2017年2月22日に死にかけて戻ってきたので、戻ってきたことは今しているような争いのためだけかどうか、決してそんなことだけのために生きながらえた、ともどうも思えないのです。だから、今やっているたたかいというのは、何か、ついでにしている、という気持ちがあります。その方が本心だと思います。

 

だとすると、現在の世俗諦とは異なる、自分の真義諦はなんなのでしょうか。これはもっと勉強して、もっと深めて、誉れ高き金剛菩薩にでも問い合わせてみないとならないことでしょうか。

もう疲れてきたので、これにて。ごきげんよろしゅう。