2月8日(月)ミャンマーで広がる軍事クーデターへの国民的抵抗と、習近平の中国はなぜ国軍の暴挙を非難しないのか

自民党の二階幹事長は鮫の脳を持つ人をかばって「撤回したから」辞任する必要はない、という考のようです。Gotoトラベルがコロナウイルス感染を広げたであろうのに、日本観光協会の会長もつとめる人が責任を取らない、まったく同じような構図、なのではないでしょうか。

 今日は、津田工業の浅井氏の弁護団会議で丸の内にある某法律事務所に行きましたので、240円×2で交通費は480円でした。昼ご飯は、カボチャとがんもどきの煮付け、ほうれん草の卵炒め、トリ五目ご飯、バナナ1本、蜜柑1個で460円、晩ご飯もその残りと、カレイの煮付け、イチゴの練乳かけで480円、食費小計940円で支出計は1,420円です。

 

本日は、ドストエフスキーの『死の家の記録』「四 アクーリカの亭主」を読み終え、231P「五 夏の季節」に入りました。

ドストとFスキーの小説には、読む、ということについての快楽があると思います。『カラマーゾフの兄弟』や『未成年』に何が書いてあったか記憶になくなっても、そして老人になればすべからく読んだ内容は早々に失われ、脳が記憶を喚起することへの苦悩がおとずれ、焦りのような精神状態が起こったりもします。老いは苦しいものに違いありませんな。

神をもたない人々のためにも祈る、ということについて考えるに、それはとても尊い気持ちと思いもしますし、とても立派な信仰心の証とも思えますが、絲山さんの「神と増田喜十郎」の神にとっては重荷になるということですね。

この世は難しいですが、ドストエフスキーは人生の真実をどんな小説でも庶民の生活と言葉の中からえぐり出すところが凄い。

ところで、中国は香港のひとびとの自由や民主主義への欲求を国家を守るためと称して抑圧をおこなっていて、民主主義の徹底が世必要な国家です。すなわち、中国は市場を開放することにより、新自由主義国家体制を構築し、社会主義と自称しているけれども社会主義の国家とは言えない状況にとどまっています。ウイグル自治区チベットや香港の問題は、世界の問題であり、人間の生きるための民主主義の問題です。だから、ミャンマーで起こった国軍による軍事クーデターに対する非難を中国がおこなわないことは、社会主義を自称する国家としてもありえず、黙認するかのような態度は許されないもの手はないでしょうか。

自分は、そのような中国と中国共産党は間違っている、と考え、中国においても民主主義革命が必要だと考えていますが、どうでしょうか。

ということで、本日はこの辺で。ごきげんよう