3月10日(水)ミャンマーではクーデターを続けようとする国軍とクーデターを平和的に終わらせ民主主義の回復に向けた非暴力抵抗運動が多くの民衆によってたたかわれている

f:id:kuniyan-desu:20210310225851j:plain

名古屋でも県知事リコール署名不正を許さない市民運動がたたかわれている

名古屋市長選挙は4月11日告示、25日投票でおこなわれます。上の写真のデモは、3月7日にとりくまれ、東別院から矢場町交差点まで、河村たかし名古屋市長は高須クリニック院長と共に不正署名の真相を明らかにせよ、責任をとれ、とシュプレヒコールを上げました。デモに先立つ集会では、最初にお辞め下さい、名古屋の恥です、という歌も流されました。参加者は500人定員の会場ですが、コロナ禍のなかなので250名限定で会場には入れない方もおられたので、デモの参加者はそれ以上だったと思います。

明日はFM愛知・高橋氏の県労委の結審があるのですが、被申立人の最終準備書面はきておりません。出さんのかな、そんなこたぁないだろよ。でも、高橋さんが勝つな。

 

本日の読書の到達点は、『死の家の記録』は290頁、『シズコさん』は150頁でした。

『シズコさん』は佐野洋子さんのお母さんのことを書いたエッセイですが、この人の書くエッセイはどれもよく似たような家族や自分のこととかが多く書かれているのですが、非常に率直というか、正直というか、赤裸々に、つまり相当にあるがままに書かれているので感心します。感心する、というのは変ですが、これもリアリズムですから、読んでいて面白いのです。かいてある、といううことは単純ではないのでおもしろいのです。

昔読んだ佐野洋子さんのあるエッセイで(『私の息子は猿だった』かな?)、「日教組、かかってこい」という文章があって、なんだか右翼っぽい俗物の面があるのかな、と少し不快に思っていて、その点に引っかかりを長く持っていたのです。『シズコさん』を読むと「日教組の理論家の上の妹」と書いてあってちょっと誤解していたのかな、と気づきました。父親はれっきとした左翼で特高警察に付け狙われていて、満鉄にいたというわけですから、父親のことを親戚中がアカと言っていたことなども普通に書いてあるのです。

ジズコさんもまったく美化されておらず、いろいろと佐野洋子さんは書いていますが、そこから母親に対する愛情や、悔恨や、肉親に対する多面的で重層的な人間感情がとてもあった事実通りによく分かるように描かれています。そうですね、人間の人間に対する気持ちっていうのは、特に肉親に対しては本当にこんな風に複雑なものです。また、母の洋子さんへの教育というか躾けというか、それは愛情のないものではなかったということもよくわかります、立派でさえあると感じます。このような情感というものは大切なものです。半分読みましたが、あと半分読んでいきます。

 

きょう、ずっと栄総行動にとりくんできた仲間が、秋にコロナに感染し、一時エクモをつけるほど大変なところまでいったけれど、コロナからは回復しつつあったもののまだ重体で入院していたところ、医療過誤が起きて心臓が一時止まりそれに対応して脳に血液がいかないという状況になって脳の一部が死んでしまい、結局その状況から亡くなってしまった、というとても残念な話が伝わってきました。志半ばで倒れた同志のご冥福を心からお祈りいたします。

本日もここまで。ごきげんよう。                                                                         

 

 

3月9日(火)名古屋の河村たかし市長は、大村愛知県知事リコール署名運動で主導的役割を果たしてきたのに今はその責任から逃れることに必死

f:id:kuniyan-desu:20210309233447j:plain

ミャンマー国軍の治安部隊に尼僧がひざまずいて訴えているのは、クーデターに反対する民衆たちをひとりも傷つけないで!もう54人以上が殺されてしまった、という状況です。

今日はKKR三の丸で日替わりランチのメバルのバター焼などいただきました。

そのあと、自分の裁判に出て、労働会館本館4階の栄総行動オルグの続行をしました。

死の家の記録』を2頁ほど読み、『シズコさん』は116頁まで読みました。

とくに変わったことはありませんが、家計簿調査運動が終了して、明日で10日となりますので、お祝いに720ミリリットルの米のむにゅむにゅ蓬莱泉を3本ゲットし、楽しみをつくりました。送料を含めて13000円ほどという大出費で、暮らしていけませんがな。

労働者後援会ニュースに次の原稿を送りましたが、ボツになるかも。

 

 ことし4月の名古屋市長選挙は、労働者後援会にとっても大変大きな意義を持つことになる、と予感させる集がありました。
 3月7日に東別院ホールで開催された「表現の不自由展・その後」をつなげる愛知の会が主催した河村たかし市長はリコール不正の責任をとりなさい、という集会とデモです。
 大村愛知県知事へのリコール運動で8割以上の不正署名が発覚して刑事告発がされているなか、リコール運動を主導した河村市長は窮地に陥っています。
 集会・デモには250人以上が参加し、集会では中谷雄二弁護士が基調報告、「不正リコールを許さない市民の会」の岩城正光弁護士が、不正の実態告発と批判を行いました。
 こうした、情勢の大きな転換点となる時点で、チャンスを生かして活動をすすめることは、とても元気の出る楽しいとりくみになります。岩城正光弁護士に市長選出馬を要請し、市民の賛同が呼びかけられているなかで、まず、多くの労働組合・職場から「 岩城さん、立候補して!」の声をあげるよう労働者後援会としても大きくとりくみを進めましょう。

 

今日もよう働きましたわ、ほな、ご機嫌よろしゅうに。(なぜか関西弁風)

 

 

 

 

 

3月8日(月)今日第95回栄総行動の1回目のオルグをしました。それにしても、ミャンマーでは、国軍のクーデターに反対して非暴力抵抗闘争をとりくんでいる民衆を50人以上を断圧により殺害したという許しがたい暴挙がおこなわれています。断固、抗議する!

desu_kuniの日記 (hatenablog.com) ⇐ 2月末から3月3日頃の一部の記事が、こちらにしか書けなかったため、ご参照頂ければ幸いです。

f:id:kuniyan-desu:20210308223950j:plain

さまざまな民主主義革命の花々

『落英』は読了し、いまは佐野洋子の『シズコさん』を72頁まで読みました。『死の家の記録』は282頁で、遅々としてすすんでいません。そのうち、読みおわるでしょうけれど、いつのことやら。

それにしても、中国は「国際世論はミャンマー国軍をあまり刺激してはいけない」などと、クーデターを起こし民主主義を蹂躙した国軍に加担して、民衆虐殺に加担しています。中日新聞朝刊「中日春秋」7日のコラムは素晴らしかった。ボブ・デュランの「風に吹かれて」の歌詞を引用し、一体何人の死者を見れば動いてくれるんだ、と。

その記事を読んで、そういえば、昔、学生の頃に、命よりも尊いものがあってそのためにたたかいつづける、という気概をもって運動に加わっていったもんだなぁ、ということを思い出しました。いまも、香港民主派やミャンマーで実際たたかっている人々は民主主義を後戻りさせてはいけないと必死で活動を続けているに違いないのです。

あした自分の裁判があり、このところその取り組みもあって疲れたので、今夜もこれぐらいにしておいてやることにします。ごきげんよう

 

3月4日(木)家計簿は3月月末を期限として集計しなければならないけれど、おそらく16日頃には余裕ができるんじゃないかな

f:id:kuniyan-desu:20210304230946j:plain

原始キリスト教はペテロら正統派によって教説を凝集・収縮したのかも知れない

仕事は次々と片付けているところですが、明日までに一つ目鼻をつけていく必要のあるやっかいなものがまっています。これも1/3くらいはできているのですが、仕事を進めること自体がおっくうになるようなしろもんです。それでもやらなきゃなりません。

今日は任意共済掛金の46,800円を愛知共済会に支払いにいったのだけれど、その1/12である3,900円を2月分として計上しなければなりません。

 

ドストエフスキーの『死の家の記録』は「八 仲間」(280頁)から遅々として進まず、黒川博行氏の『落英』(㊦)は地下鉄の電車の中や眠る前にどんどん読み進めて、いま260頁なので、あと90頁で読了というところに来ました。

黒川作品は娯楽小説として楽しんでいますが、『落英』は、たんたんと警察の捜査が書き連ねられていますが、長いだけでストーリーは劇的展開があったりするわけではなく、警察、ヤクザ、談合屋、地上げ屋、フィリピンから来たプロに殺される銀行副頭取の債権回収など、登場人物特にふたりの主人公のキャラクターや会話は少し面白かったりはするものの読み進めていてなかなか時代背景としてのバブル崩壊の頃の状況等も書かれていますが、全体としてあんまり面白くはありません。娯楽読み物の下といったところでしょうか。作者の才能の浪費のように感じます。この作家のものは『国境』のように非常に面白いものもあります。だけど、まぁこれは駄作と言っていいんじゃないかな、と思います。

 

さぁ明日は、本当に今一番ストレスとなっている仕事をちゃんとやっていかないと時間だけが過ぎていって、『落英』と同じようにつまらないことになってもしようがありません。しかし本当にもう日にちがない。困っていても寝る時間は必要だから、本日はこんなところで。ごきげんよう

 

 

 

 

2月25日(木)あと3日、愛知は緊急事態宣言も解除され、自由な素晴らしい時代に入ることが出来るのだろうか

今日、午前中に花粉アレルギーへの対処のため、北医療生協病院に行き、ついでと言ってはなんですが、耳・鼻・喉を診察してもらってきました。耳は左の難聴がすすんでいるものの、補聴器を付けるほどではない、ということで、のども鼻からカメラを入れて昨年3月の急性喉頭蓋炎発症後の状況を診てもらったところ、異常なしでした。鼻炎の薬等もふくめて、7,700円でお願い致します。

灯油を18㍑シューワ石油の巡回販売で購入し、1,270円です。

金山の行き帰りの交通費が、地下鉄代として270円×2で540円です。

朝食は三色団子と緑茶300㏄、昼食は餃子。芋天ぷら、プチトマトとキュウリ・カニカマサラダ、ハマチの刺身とご飯で980円、夕食は麦のジュースとシャケの焼き魚・野菜煮付け、味噌汁とご飯で890円、食費計1,870円で、支出計は11,380円です。

 

病院の待ち時間で『落英』(㊤)を読了し、㊦にうつりました。ドストエフスキーは、まだ読み終えることは出来ません。娯楽小説の方が早く読めてしまうもんです。

 

今日はもう仕事が山積して忙しくてなんともならん状況となっており、ご無礼致します。ごきげんよう

 

 

2月24日(水)あと4日、今日は寒が戻りちょっと冷え込みましたけれど、なお、民主主義革命のさなかですね

f:id:kuniyan-desu:20210224234312j:plain

国連による企業行動指針にも背くダウ・ケミカルによる工場閉鎖=スクラップ化とたたかう全労連・全国一般日本アクリル支部の仲間の職場と雇用を守る運動に支援を!!

本日は、裁判所へ行き、まず交通費240円、それから労働会館へ行き240円、栄総行動事務局会議に参加し240円、帰りが240円、交通費の小計が960円です。

朝は焙じ茶350㏄、昼はポークソテー、キャベツ、レタス・トマト、味噌汁とご飯で1,100円で、夕食は、海老・サツマイモ、タマネギ、ピーマン、椎茸の天ぷら定食で、980円、食費の計は2,080円で、そのほかに新聞代3,497円。支出計は6,537円です。

これから月末にかけ支出が増えていくでしょう。

 

『落英』(㊤)は348頁まで読み、『死の家の記録』も274頁まで読んできました。どちらももう少しで読了するでしょう。3月の半ば頃までは、スケジュール的に忙しく、読書に専念して耽溺することもままなりません。つまらんなぁ。読みたい本に囲まれて、いつかこれも読んでやろう、いつかあれも読んでやろう、と書物の背表紙を眺めているのが、愛書家なんですかねぇ。読まなきゃ、いくら本を並べていても、しょうがないじゃありませんか。しょうがなくても、だんだん目が見えなくなって、本を読むことがたいへんになっていっても、買った本はすべて読み終えたいですけどねぇ。もう読み切るだけの寿命があるのかないのか。たぶん、ないのじゃにいかな。けれど読みたいな。だとすると、できるだけ健康に留意して、長生きせんとなぁ。しかし、かといって、本を読むためだけに生きながらえるというのもなんだかなぁ。目の黒いうちに、民主主義革命の大きな前進を目の当たりにしたいもんじゃがのぉ、ふぉっふぉっふぉっ。

しかし、話は変わりますが、ダウ・ケミカルという会社は、ベトナム戦争の時に枯れ葉剤の爆弾製造をしていた会社だと聞きますが、日本市場での活動を経済戦争としか考えていないのではないかとみえます。日本アクリルの工場を労働者ごとスクラップとして廃棄するのがねらいであり目的のようです。つまるところ、コーティン材の市場からも撤退するというのですから、花王など大手取引先に対してすらスクラップにするつもりなのかも知れませんが、焼け野原にして後は野となれ山となれ、我が亡き後に洪水よきたれを絵に描いたような会社だといえるのではないでしょうか。まったく許しがたい会社もあり、人間もいるものです。

きょうも疲れましたので、こんなところで。ごきげんよろしゅう。

 

2月23日(火)あと5日、非常事態宣言も解除に向かっているといいますが、本当に大丈夫でしょうか

f:id:kuniyan-desu:20210223212444j:plain

ミャンマーの国軍の軍事クーデターに対する民衆の非暴力抵抗運動は必ず勝利するだろう

朝は緑茶200㏄、昼はトーストと、カニカマ・キューリ、新タマネギのマヨネーズ和えのサラダ、飲むヨーグルト350㏄です。夕食は、トマトと新タマネギ・キューリのサラダ、ミートソーススパゲティのり大盛りと緑茶350㏄でした。とりあえず、買い置きの食料によって、ここまでは食費ゼロ、よって本日も支出ゼロということになりました。

 

祭日で休みだからといって外に出ないだけで在宅勤務のようにせっせと働き続けているので、だらだらゴロゴロしたいという願望はまったく満たされることはありません。つまらない仕事を黙々とおこなっていくことは、地道で面白くもない仕事や活動に共通しているかも知れませんが、これは日々これ端正というトレーニングのようなもので、これをおろそかに考えると、基礎が出来ませんからよくありません。どのようなことでも、基礎をしっかりと身につけ、鍛錬に努め、磨き上げていくことの積み重ねが大事です。でもやっていて楽しいことと、味気ないことと言うのは、やはりありますから、すべてを楽しくというのは、気の持ちようだけではないものです。また、すべて楽という理趣経のようなとらえ方で、般若の智慧にいたるのか、というと、至るともいえるし至らないともいえ、易行道にしてからが、そんなに簡単でいいの、ということからみると、それが果たして優れているかどうかよりも、タヨウナニルヴァーナへの道をさぐり、そこへ至ろうとする人間の努力自体に意義がある、とみなければならないものかもしれません。

仕事でもいろいろと書き物をしてとても疲れたので、本日もこんなところで。ごきげんよう