3月10日(水)ミャンマーではクーデターを続けようとする国軍とクーデターを平和的に終わらせ民主主義の回復に向けた非暴力抵抗運動が多くの民衆によってたたかわれている

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名古屋でも県知事リコール署名不正を許さない市民運動がたたかわれている

名古屋市長選挙は4月11日告示、25日投票でおこなわれます。上の写真のデモは、3月7日にとりくまれ、東別院から矢場町交差点まで、河村たかし名古屋市長は高須クリニック院長と共に不正署名の真相を明らかにせよ、責任をとれ、とシュプレヒコールを上げました。デモに先立つ集会では、最初にお辞め下さい、名古屋の恥です、という歌も流されました。参加者は500人定員の会場ですが、コロナ禍のなかなので250名限定で会場には入れない方もおられたので、デモの参加者はそれ以上だったと思います。

明日はFM愛知・高橋氏の県労委の結審があるのですが、被申立人の最終準備書面はきておりません。出さんのかな、そんなこたぁないだろよ。でも、高橋さんが勝つな。

 

本日の読書の到達点は、『死の家の記録』は290頁、『シズコさん』は150頁でした。

『シズコさん』は佐野洋子さんのお母さんのことを書いたエッセイですが、この人の書くエッセイはどれもよく似たような家族や自分のこととかが多く書かれているのですが、非常に率直というか、正直というか、赤裸々に、つまり相当にあるがままに書かれているので感心します。感心する、というのは変ですが、これもリアリズムですから、読んでいて面白いのです。かいてある、といううことは単純ではないのでおもしろいのです。

昔読んだ佐野洋子さんのあるエッセイで(『私の息子は猿だった』かな?)、「日教組、かかってこい」という文章があって、なんだか右翼っぽい俗物の面があるのかな、と少し不快に思っていて、その点に引っかかりを長く持っていたのです。『シズコさん』を読むと「日教組の理論家の上の妹」と書いてあってちょっと誤解していたのかな、と気づきました。父親はれっきとした左翼で特高警察に付け狙われていて、満鉄にいたというわけですから、父親のことを親戚中がアカと言っていたことなども普通に書いてあるのです。

ジズコさんもまったく美化されておらず、いろいろと佐野洋子さんは書いていますが、そこから母親に対する愛情や、悔恨や、肉親に対する多面的で重層的な人間感情がとてもあった事実通りによく分かるように描かれています。そうですね、人間の人間に対する気持ちっていうのは、特に肉親に対しては本当にこんな風に複雑なものです。また、母の洋子さんへの教育というか躾けというか、それは愛情のないものではなかったということもよくわかります、立派でさえあると感じます。このような情感というものは大切なものです。半分読みましたが、あと半分読んでいきます。

 

きょう、ずっと栄総行動にとりくんできた仲間が、秋にコロナに感染し、一時エクモをつけるほど大変なところまでいったけれど、コロナからは回復しつつあったもののまだ重体で入院していたところ、医療過誤が起きて心臓が一時止まりそれに対応して脳に血液がいかないという状況になって脳の一部が死んでしまい、結局その状況から亡くなってしまった、というとても残念な話が伝わってきました。志半ばで倒れた同志のご冥福を心からお祈りいたします。

本日もここまで。ごきげんよう。