3月2日(土)最賃生活体験運動21日め-

本日は愛調祭というのがあって昼食はそこでいただき、その後リハビリに行き戻ってまいりましたので、交通費小計は 400円でした。

お昼はオムライスに豚肉のトマトソース煮込み、クラムチャウダー、肉まん、ティラミスなどを食し 1,300円、夕食は月見そばとハッサクとリンゴで 280円、食費小計1,580円、スーツ2着をクリーニングに出したので5,346円です。本日の支出合計は、7,326円で、この日までの支出累計は90,191となりました。

 

ドストエフスキーの『未成年』が読者の前に登場したのは1875年(『カラマーゾフの兄弟』の5年前)で、阿川弘之の『カレーライスの唄』は1956年で、現在は2019年です。

2年前に読んでいた村上春樹の『騎士団長殺し』でもっとも説明しにくいのは、昔の密教の僧侶(のようなひと)が即身成仏をめざして生きながらにして山中の主人公の住むアトリエの裏山の深い穴の中から鈴の音を響かせ、モーツアルトの『ドンジョバンニ』の騎士団長の寸足らずの姿であらわれてきてイデアのようなものとして主人公が認識する内容かと思います。

主人公はこの寸足らずの騎士団長を請われて殺してしまうのですが、それが主人公の更生というか再生と絵のモデルの少女をあわせて救うということに繋がっていくというわけです。

主人公は妻との関係でほとんど死んでいる人のようです。人間の死と再生は、文学の深いテーマであり、『カレー』も青春小説っぽいけれど、父のまぼろしではそうした側面も含んでいます。

自分の死と再生はどのようなものであろうかと考えるとき、今生きている、ということを奇跡のように思い続けています。

3月1日(金)最賃生活体験運動20日め-

本日は眼科病院の定期検診等があり最初に病院に自転車で行き、次にG氏の外付けハードディスクが認識しなくなったとのことで修繕のため、金山南口にて待ち合わせ、地下鉄代は 270円、その後リハビリに行き 230円、帰りが 200円で交通費小計は 700円です。

目医者の視力・視野検査・診察と薬10本分で10,800円、食費は朝はピュアな水200㏄、昼食はトマトソーススパと小グリーンサラダで 780円、夕食は牛しゃぶ 600円、小計1,380円で、支出合計は12,880円、累計は82,865円です。

 

『カレーライスの唄』では、主人公の青年六さん(桜田六助)の父親が上海で戦犯として銃殺刑となったことが、娯楽小説といいながらかなり迫真の事実として描かれます。十字架のような木の枠で縛られて市中引き回しをされ、最後に首筋あたりを拳銃で撃たれて殺される、という処刑だったというのです。遠藤周作の『金と銀』にも60年安保のデモと右翼によるテロが出てきましたし、阿川弘之のこの小説でも百合書房という出版社が潰れて失業し、おまけに退職金としてもらった先付け小切手が不渡りとなってつらい状況にある六さんの「父のまぼろし」の章で、それまではっきりとは知らなかった父の死の実相が描かれています。

そして戦犯としての銃殺刑の理由は、豚や鶏など食糧と中国人が大切にする棺桶のための木材などの徴用(これは戦地での略奪行為)、中国人スパイの処刑(これは裁判にかけないという点では国際法違反の捕虜の殺害)を命令し、それらの行為に桜田隊の責任者として責任があったということでした。

自分が自分の犯した罪によりそのように殺害されることを想像してみれば、また、その息子である六サンが父の新実相をしり、どのように思いどのように考えるかを、殺されてしまった自分の側からも想像するとき、自分の死は息子からみてどのような死といえるのかを考えずにはいられません。こうした内面世界の重層性は、ただ読書する人生の特権であるわけではありません。自分自身の実際の人生の時があり、それらが、ドストエフスキーの『未成年』とも重ね合わせられ、混淆としてありながら、意識においてはそれぞれはそれぞれとして流れ、形成され、豊かな強靱なものとして現にそのような内面世界として存在しているのです。

それがどうだというわけではないのですが、そのように自分は生きています。

 

 

 

2月28日(木)最賃生活体験運動19日め-

今日は、義兄が連絡がとれないという状況が昼頃にあったため、昼をおごっていただいて義兄の自宅へ車で行き(無事であろうことが概ね確認できたので)その足で名中地域センターまでK氏との県労委書面作成についての打ち合わせのために送ってもらいましたので、そのあとリハビリへ行った地下鉄代 230円、それから最賃生活体験運動中間激励&報告会へ参加させていただき、 230円と帰りが 270円で、交通費の小計は 730円です。

食費はあさはいつも通りピュアな水200㏄、昼はおごってもらい、夕食は最賃の激励会で焼き肉&揚げ寿しはすべてロハで、珍しく0円で、支出合計 730円、累計69,985円となりました。

 

ドストエフスキーは生き生きとした会話があり心理描写のなかに単純ではないパラドックスがあったり、出来事や人間関係に皇帝暗殺の革命運動の秘密グループが示唆されたり、無神論と神様にすがる人間の思いなど(神様に祈りを捧げない人々のための祈り)いろいろと学ぶ気持ちに応える内容があり、感心します。それは今日においても、共通している考えや感情を豊かに含んでおり、多くの人々が読むに値する重要な小説と言えると思います。読まなくったってどうと言うことはありませんけどね。読むと読まないとの違いといえば、そうした言葉と考え方を知るかどうかですが、これは間接的経験としては死刑寸前で命を救われたドストエフスキー流刑地に送られる囚人たちに交じって、土地の婦人たちの慰問を受けた中に『聖書』が差し入れられていて、かれは深くそれを読んだ、ということと共通するものが、ドストエフスキーの小説の読者にも与えられるということです。

今日は最賃生活体験運動の中間激励&報告会ではそのことは話しませんでしたけれど、人間における関係の絶対性は間接的経験に置いてさえ、深く読み続けた書物や作者とつながり、意識はそうした人々のことをも自分の直接的経験や人々とのつながりとともに、一体のものとして人間を形成しつづけていくのではないでしょうか。

革命運動もそういうものなのではないでしょうか。

 

 

 

 

2月27日(水)最賃生活体験運動18日め-

本日の交通費は昼食に連れて行っていただいた後で、市役所から名古屋北法律事務所で弁護団会議があり 230円、そのあと事務所へ行き 230円、そして民主・革新中の会記念講演と総会がイーブル愛知であったので 200円、帰りが 270円で、小計 930円です。

食費は、あさがピュアな水200㏄、レタスサラダと恵那鶏の白ワイン蒸し、ご飯とティラミスで2,000円、夕食はかにクリームスパゲティ 760円で、食費小計は2,760円です。

このほか、定期購読している雑誌が、 730円+1,030円+500円で2,260円、携帯電話代が10,451円、本日の支出合計は16,401円で、累計69,255円となりました。

 

同じようなことばかり書いてきたので、あまり書くことがなくなってきたような気がします。もちろん、人間の日常生活は固有であり、すべて個別的な経験にほかならないし、今、このときに同じ本を読んでいるということもまずありませんから、間接的経験といった二重の内面世界の生活も全く固有であることは当然です。

寝る前に娯楽で読んでいる『カレーライスの唄』も、六さんが失業して、退職金としてもらった先付け小切手が不渡りに也、千鶴子はスキーに行ってしまって、六さんがすすめて故郷のお袋が買った株が値下がりを続け、どのような展開になっていくのかわかりません。そのようにこれからどうなるのか、ということは人生においてもも同じようにわからない未来がひらけていくわけです。

そんなことは当たり前のことです。

 

 

2月26日(火)最賃生活体験運動17日め-

まず1カ月の自転車駐輪場定期券代2,000円、リハビリへの行きの地下鉄代 200円、その後事務所へ行き 230円、栄総行動実行委員会参加のため移動 200円、そして帰り 230円で、交通費の小計は2,860円です。

朝はピュアな水200㏄のみ、昼食はピザトースト・トマトとオニオンスライスのサラダ・ポタージュスープで 200円、夕食はマグロ・イカ・鰯・ブリの刺身定食で1,170円、食費小計は1,370円です。二つ目の新聞代3,497円、本日の支出合計は7,727円です。ここまでの支出累計52,854円です。

 

仮に最低賃金額が1500円となったとしたら、一日拘束8時間で実労働時間は7時間として、1カ月22.3労働日働いた場合には、234,150円となり、最低生計費にかなり接近します。時間給で900円そこそこで働いている人は、自分の労働力の価値がそんなに安いはずはないということを、暮らしに支出するお金がそれより多くなって赤字になることで知ります。なぜならば労働力の価値は、その労働力の再生産費のはずですから、それがまかなえない賃金=収入とは、労働力の価値以下の支払いでしかない、ということはまったく明らかなのです。地方最低賃金の額が労働力の価値以下に抑えられ続けてきたことにより、日本の労働者の生活悪化は青年層・女性層においてきわめて劣悪な実態にあります。地方最低賃金の額は「最低賃金」と言えないほど殺人的な低さだということを検証するのが、最低賃金生活体験運動の意義のひとつだと言えます。それは生活保障費とすれすれで、こんな暮らしを何年も続けていくならばフラストレーションによって通常の人間性が解体していってしまっても不思議はありません。

どうすることもできない極めて不条理な労働と生活が日常化し、昔ツナちゃんという最賃の戦士が「どうしてこんなことになってしまったんだろう」と嘆いていた、まさにそうした状況がおこるのです。高知のツナちゃんは本当に最賃生活体験の真実を表現していました。なぜなら、現在の最賃額では生活が成り立たないのです。その苦痛が毎日の支出に刻まれ、生活がやっていけない苦しみが生きる苦しみとして表出されるのです。

最賃で生活する、している、ということはそういうことです。

2月25日(月)最賃生活体験運動16日め-

今日は相談1件あり、組合事務所に行って帰ってきた交通費は、 270円×2で小計は 540円です。

朝はピュアな水 200㏄と牛乳+きな粉、昼はサツマイモパン・メロンパン・チーズパン・餡ドーナツとレタス・トマト・コーンのサラダで 300円、夕食は豚肉とネギ入りのお好み焼き、鯛のカルパッチョ紫芋パンで 300円、食費の小計は 600円です。

月末が近いため、新聞代が3,086円で、支出合計は4,226円です。

本日までの支出累計は、45,127円ですから、楽勝で最賃生活体験運動などクリアできてしまうかの錯覚に陥るのですが、この月末を乗り切ることが至難の難関です。

 

昨日は沖縄での県民投票が行われ、民意は辺野古基地埋め立て反対の県民の声が圧勝となりました。沖縄の人々と連帯し、安倍政権を倒そう!

今日はリハビリはできませんでした。明日からまた頑張ります。

『カレーライスの唄』では百合書房がついに破局を迎えました。六さんや千鶴子さんはこれからどうするのかな。

明日が、栄総行動の要請書提出期限なので、せっせと書き直さないといけません。

明日の夕方には第2回実行委員会があるので、なんとかしあげなければ。

今日はカラヤンボレロを少し聴いていたけれど、最後までなんとなく散漫な心象世界となっているように思います。

『未成年』も2ページくらい地下鉄の中で読みました。ドストエフスキーの小説としては、本当に地味と言えば地味すぎるくらいの長編ですので、なんともすすみません。最賃生活体験期間中に読み終えることは、多分できないでしょうね。

2月24日(日)最賃生活体験運動15日め-

今日は午後からトヨタ総行動が名駅のミッドランドスクエア前であったため、中央線代金が 190円、そのあとリハビリに行き 230円、帰りが200円で小計 620円です。

食費は朝がピュアな水150㏄、きな粉+ヨーグルト+蜂蜜、バナナ2分の1本で 50円、昼はデミグラスハンバーグのランチ 884円、夜は本マグロの中トロと昆布&半平の煮物、豚汁とご飯で1,281円、小計は2,215円です。支出合計は2,835円でした。

 

トヨタ総行動であったU氏は、昨日「野田郷」へ職場の人6人くらいの人たちと行った、とのことでした。そこに1980年の色紙があった、と話されていました。それは愛知で全国大会が開かれて、OBの懇親をかねて、自分が宣伝カーを運転していったときのことだな、と思いました。25年ほど前のことかな、と勘違いしましたが、もう39年も昔のことだったのかな、と少し不思議な気がしました。野田郷でも、三瀬さんが鮎の塩焼きを隣で飯を食っていた自分にくださったり、梅沢さんなどによくしてもらったなと懐かしく思います。その頃の自分は若かったけれど、いまは年寄りになって年寄りのことを懐かしいなと思っています。三瀬さんも梅沢さんもこの世にはもういなくなってしまわれました。

2017年には2月12日に急性大動脈解離で緊急手術をし、夏が過ぎる頃(8月24日)に慢性解離性胸部大動脈瘤がみつかってステンドグラフト術式で9月に手術をしました。17年12月12日に突然弟が大腸癌が再発して病院で亡くなりました。その直後に義兄が心臓の僧帽弁などがいかれてしまい、18年に4つの手術をし、一時はあぶない状況になりましたが、もちなおしました。18年末に恵那の叔父さんが脳梗塞で倒れ、今年に入って自宅に帰れないまま症状が急変して病院で亡くなりました。

今日、トヨタ総行動が名古屋駅であって、笹島ライブまでデモ行進をしながら、U氏の話からの連想だろうか、なんとなくそんなことを思いだしながら歩きました。