3月1日(金)最賃生活体験運動20日め-

本日は眼科病院の定期検診等があり最初に病院に自転車で行き、次にG氏の外付けハードディスクが認識しなくなったとのことで修繕のため、金山南口にて待ち合わせ、地下鉄代は 270円、その後リハビリに行き 230円、帰りが 200円で交通費小計は 700円です。

目医者の視力・視野検査・診察と薬10本分で10,800円、食費は朝はピュアな水200㏄、昼食はトマトソーススパと小グリーンサラダで 780円、夕食は牛しゃぶ 600円、小計1,380円で、支出合計は12,880円、累計は82,865円です。

 

『カレーライスの唄』では、主人公の青年六さん(桜田六助)の父親が上海で戦犯として銃殺刑となったことが、娯楽小説といいながらかなり迫真の事実として描かれます。十字架のような木の枠で縛られて市中引き回しをされ、最後に首筋あたりを拳銃で撃たれて殺される、という処刑だったというのです。遠藤周作の『金と銀』にも60年安保のデモと右翼によるテロが出てきましたし、阿川弘之のこの小説でも百合書房という出版社が潰れて失業し、おまけに退職金としてもらった先付け小切手が不渡りとなってつらい状況にある六さんの「父のまぼろし」の章で、それまではっきりとは知らなかった父の死の実相が描かれています。

そして戦犯としての銃殺刑の理由は、豚や鶏など食糧と中国人が大切にする棺桶のための木材などの徴用(これは戦地での略奪行為)、中国人スパイの処刑(これは裁判にかけないという点では国際法違反の捕虜の殺害)を命令し、それらの行為に桜田隊の責任者として責任があったということでした。

自分が自分の犯した罪によりそのように殺害されることを想像してみれば、また、その息子である六サンが父の新実相をしり、どのように思いどのように考えるかを、殺されてしまった自分の側からも想像するとき、自分の死は息子からみてどのような死といえるのかを考えずにはいられません。こうした内面世界の重層性は、ただ読書する人生の特権であるわけではありません。自分自身の実際の人生の時があり、それらが、ドストエフスキーの『未成年』とも重ね合わせられ、混淆としてありながら、意識においてはそれぞれはそれぞれとして流れ、形成され、豊かな強靱なものとして現にそのような内面世界として存在しているのです。

それがどうだというわけではないのですが、そのように自分は生きています。