2月12日(火)3日目の最賃生活体験-生と死との混淆たる失われた時の探求

リハビリに行った地下鉄交通費 200円、事務所までの同 230円、栄総行動第2回事務局会議へ参加のためイーブル名古屋までは徒歩、帰宅は地下鉄 270円で交通費小計 700円です。

朝食は南アルプスの天然水200㏄、きな粉とブルルガリアヨーグルトで 60円、昼にビーフシチューランチとグリーンサラダ1,230円、夕食にホッケ開き定食 900円、食費小計2,190円。本日の支出合計は、2,890円でした。

 

ドストエフスキーの『未成年』には『カラマーゾフの兄弟』に登場するゾシマ長老と似通った人物マカール老人が出てきます。第3篇のマカール老人の物語のはじめの部分にエジプトのマリアの生涯という話の題名だけが出てきます。イエスはエジプトで魔術を学んだという説もあるそうですが(だから奇跡を演出する場面を作り得た)、そうした奇跡とともに古代の宗教はその時代の知性の最高峰の考え方として人々に受け止められてきたのかも知れません。当然、その時代の科学の限界という制約にとらわれています。いまからみれば、そのときは奇跡と科学が渾然とあったけれど、奇跡の部分は嘘くさいと多くのひとがとらえるのです。神秘はない、と。

神秘や奇跡がないならば、ひとの日常の一刻一刻は失われ続けている時なのでしょうか。寿命が短くなっていくという観点からはそうなのかもしれません。

ただ、ひとは死を意識したからといって死にとらわれてもならず、決して事実として死から自由ではなく、生のなかに死はひそんでいて、生と死は同時に生き物にあり、ひとはそのことを直覚するものです。