2月11日(月・不承認の建国記念日)二日目の最賃生活-失われた時を求めて

本日はリハビリへの交通往復地下鉄代 400円。病気発症前より健康的な生活をしております。

朝はピュアな水を200㏄、昼ご飯はしら河にて(500円値引き券を使って)ひつまぶし御膳 3,000円と、夕方は調理師学校の生徒さんが作ったお弁当を購入した物を半分頂いて 280円の小計 3,280円、合計支出額は、 3,680円でした。

 

自分が未成年の頃にはドストエフスキーを読みながら革命を求めていました。それから約50年近くがたち、あの頃、南ヴェトナムでテト攻勢があり、チェコスロヴァキア事件があったな、と思い出すことがあります。

ドストエフスキーはずっとツアーリー暗殺によるロシア革命を求めていたかも知れません。『カラマーゾフの兄弟』の書かれなかった後半の第2部では、アリョーシャと少年たちのその後が革命家集団として描かれることになったかも知れないという解説もありいかにもさもありなんと思います。この偉大な作家は古代の革命家ともみられてきたイエスにも激しく惹かれつつ、長くロシアの秘密警察に監視され続けていたことが判明しています。

そのように、ドストエフスキーを少しずつ読んで、また娯楽として別の小説も読んで、それからプルーストの長い長い小説=『失われた時を求めて』も読みたいと思っています。これは年寄りが自分の長い人生を振り返ってしみじみと古ぼけた記憶の引き出しからどうでもいいような経験を引き出して、意識の流れにのせてもてあそんでいるような私小説かな、と見当違いなことを思ってはいけません。

ただあれもしたいこれも読みたい、あれも買いたい、これも欲しいといったようなさまざまな欲望とおなじように、欲張りな自分に、その力もないのに求めているだけかも知れません。いかんなぁ、そんなことでは。