最賃生活は本当に退屈でつまらない反復される日常なのか

なにげなく無自覚に生きていることは目的意識的ではありません。本能や欲望に任せ、移ろいゆく時を漫然と過ごすことは、楽かも知れませんし、また堅苦しくなくて、「人間的」とも思われるのですが、必ずしも「人間的」というならば、ひとの人生はそうばかりでもないように思います。情と理とバランスよくそなえて磨き上げてゆけるなら、そうした人格形成をのぞみたいものです。

最賃生活体験運動中に、突如として30万円ものお琴を購入した若い女性のパート労働者が、内の組合に昔いました。とんでもない破綻で、笑えてきます。

我慢に我慢を重ね、フラストレーションもものともせずひたむきに生きることもあってもいいでしょう。できるだけ自然に、それまでと変わらずに生きていく、というのが当たり前ぽくってよいかもしれません。

あまり緊張せず、格好も付けすぎず、それでも最賃生活をしっかり意識しながら、日々の食事や支出の記録を付け、日々の人生の一コマ一コマを日記としていくことが大事かもしれません。ただ反復されるつまらないどうっていうことのない誰にでもある退屈な日常生活。それは本当にそうなのですか。

自分はそうじゃない、違うよ、と言いたいです。