厳寒の2月にふたたび民主主義革命の夢をみる

愛知の最賃生活体験運動は、ことしは日程がずれて2月10日からのスタートです。

よほどの数学好き、統計好きでもない限り、毎日毎日の繰り返される支出を中心とする家計簿のようなものをつけることには、「簿記の記帳・表式化、管理、統制」がどういう役に立つか、どんな機能があるか、データにどんな意味があるかをとらえておかないことには、まったく無味乾燥で面白くも何もなく、退屈極まると言わざるをえません。

これは生活のひとつの表現ですが、こうしたものが100人分ほど集まったら、それ自体が100人の生活の表現となりうるのです。それだけの人生があり、それだけの一日一日があり、28日×100人=2800日分の人間の人生の凝縮というべきものができるというところに、現行最賃制度を打ち破っていく人々のエネルギーが表現され、運動としての価値があると思います。

それがさらに、一日一日の自覚的人生の表現として、その日における例えば食事などの行動、出掛けた先での出来事、読書や考えたこと、等々の表現となるとき、人間の人生のそのときまでの記憶や、人間相互の関係や意識などとからみあって、とても一言で言い表せないドラマやストーリーが流れていることを知ります。それは、日記として、小説のようでもあり、記録のようでもあり、様々な豊かさ、人生の重層性をあらわしてくるに違いありません。

そこに自分は夢のような革命をみるのです。むかしも、高知一般の戦士・賢者・聖女とともにそうした幻のような革命をめざすたたかいを実現する道を踏みしめたことがありました。昨年も新潟青年ユニオンの若者が最後ににおとずれてくれました。