4月29日(木)次は10月革命の総選挙に向かうのでしょうか。
めまぐるしいばかりに月日は過ぎゆき、2月1日に起こったミャンマーのクーデターは終息せず、名古屋市長選挙は歴史修正主義でネトウヨ受けの、南京大虐殺はなかったと平気でいっている河村たかし氏が5選をはたし、この人が県知事リコール署名偽造の嫌疑で逮捕されるということも起こるかも知れないけれど、なお犬は吠えても歴史は進み、社会進歩と民主主義革命はえいえいと続いていくのであります。
読書はあまりすすまず、『虐げられた人々』は355頁、可哀想なワーニャとナターシャの恋の行方やいかに。『桃源』は98頁、石垣島に逃げたふたりを追って、刑事ふたりがその桃源郷・楽園の島に大阪国際空港から飛ぶのは近い。『日本酒の科学』は174頁、貴醸酒を飲みたくなってしまって、少しのお酒は百薬の長らしいです。
しかし、うかうかしていると、5月は1日にメーデー、3日に憲法集会、ゴールデンウィークは4,5,6,と駆け足ですぎていって、また元の木阿弥のような日常に戻るに違いありません。
時は時々刻々とすぎ、しばらくすると70になり、そうこうしているうちに80になり、平均寿命を迎えて、「おむかえでごんす」と3人の阿弥陀如来からの使いが来て、すーっとあっちの世界に行ってしまわなくてはならなくなって、ああこんな調子ではまともに本も読んでいられない、ということになってしまいそうです。なので、せっせと読みたい山のような本の背表紙をにやにやしながら眺めているのは、もういい加減にやめて、本腰を入れて読書三昧に入りたいところ日にはもう日にはもう団体交渉を午前と夕方におこなわなくてはならないので大変です。
でも明後日はメーデーのあと、浜ちゃんの店に行き、そのあとちょっと事務所にいってそれから、ゴールデンウィーク中のお食事用の牛肉をしこたま買って、まぁ土曜日だからぶらたもりでも見るともう寝なければいけなくなって、身体がしんどくなるといけないのでとっとと寝てしまうと、また本があまり読めないわけです。
仕方ありません、本日も同じです。それではこれにて、ご機嫌よう。
4月24日(土)あすは名古屋市長選挙の投票日です。
昨日はハーヴェイ氏の『新自由主義』をとりあげた未来研究会に参加させていただきました。日本の戦後経済史の中で、とくに高度経済成長の時期は『通産省と日本経済の奇跡』に提示されているような国家独占資本によるけん引があったに違いないけれども、最近の市場原理主義とか小さな国家とかの新自由主義の支配はどのようにして形成されたかということは勉強しておかなければならないと思います。
『虐げられた人々』は355ページまで、『桃源』は80ページでこちらのほうが娯楽本なのに進まなかった理由は講談社ブルーバックスの『日本酒の科学』を122ページまで読んでいたからです。
戦後の日本経済史と政治史は、ついこの間までは、『経済』のいろいろな論文を読みながら大会方針の情勢についてを書くときによくおさらいをしたりしていたのですが、このところ、その機会がなくなって勉強不足です。
しかし、日本の新自由主義はたしかに小泉政権で郵政民営化とか規制緩和がグンとすすめられたという面はあるものの、やはり前川レポートから、そして『新時代の日本的経営』からということで、橋本内閣と中曽根内閣のころからずっと力をつけていったとみることができると思います。
ただ、概念と用語はある程度厳密に使わないと、新自由主義という言葉自体はかなりにあいまいなところもあるため、いろいろなところで容易に使えますから警戒心がおこりますね。ある時期、資本からの攻撃は、「合理化」攻撃で、ある時期にはリストラで、またある時期にはパワハラと言っていれば大体間違ってはいないという感じになることがありました。
新自由主義についても、間違ってはいないとしても、定義をはっきりさせないと、現代資本主義の進んでいる内容についてなんにでも使えそうで警戒心を持つことが必要な気がしています。
本日もこんなところで、ごきげんよう。
3月18日(日)1週間後の25日に名古屋市長選挙の投票日が来ます
本日は朝からFM愛知の高橋さんの最終準備書面(続)の完成に専念しており、一歩も外には出ませんでしたから、実質的長い祝自粛・在宅勤務のような巣ごもり生活です。
読み進めているものとしては、『虐げられた人々』は3472頁、『桃源』は56頁です。今月28日迄はあれこれとスケジュールが入っていますから、4月29日から5月
5日迄の連休が待ち遠しいですが、それまでに4月21日に第95回栄総行動があり、25日に名古屋市長選挙の投票日もあります。
流れるように月日が過ぎてゆき、せっせといろんな文書を作っています。これは日常生活の表層ですが、本来はそうした表層だけで人生が現実世界は二重構造で蟻、現実世界は二重構造であり、ひとの人生も外的な出来事の他に内面世界があり、結構複雑な重層構造のもとに人生というものはあります。そうしたものとして探求し、つくっていくことに目的意識的な意義を見いだすということもあります。それをより深めていくことと、読書による他者の人生の経験や出来事や意識・真理などの想像力を通じての追体験、また考え方をはじめとして自然科学や社会科学の認識ととらえ方、ものごとの解き方を身につけて蓄積し、反復する思考のもとに幾度もとらえ返し考え抜く考察を掘り下げることなどが大事です。
しかし、ほどほどにしないと考えすぎた人のようになってしまうこともあるやもしれませんから、バランス感覚のもとでパラドックスを乗り越えると言うことと、問題解決能力を研ぎ澄まし高める、ということもまた大事なことです。
疲れてくるので、本日もこんなところで。ご機嫌よう。
4月13日(火)今日は雨降りで、明日まで雨です。
国軍や治安部隊の虐殺で、700人を上回る人々が殺害されているミャンマーで、ひるむことのない民衆によって国軍の軍事クーデーターに反対するたたかいが果敢に続けられています。
『虐げられた人々』は334頁、『桃源』は42頁、『マキアヴェッリ語録』が216頁、あまり読書に専念できないのですが、最後のものはあと28頁で、明日も地下鉄に乗っているときに読みますが、あと数日で読み終えることができるんじゃないかと思います。この箴言集は『政略論』から多く取り上げられていますが、原著のページ数など惹かれている本のどの部分にあたるかが書いてあればよかったな、と思いました。
今日は夕方、愛労連で愛知争議団連絡会の役員会があり、出席は4名と少なかったのですが、コロナ感染拡大がここまで広がっていると、4月21日の栄総行動も5月1日のメーデーもできるかどうか、心配になります。大阪は今日一日で1000人の感染者が出たそうです。マンボウどころか、第三次緊急事態宣言が目前に迫っているようではないですか、本当に大丈夫ですか、と言わなければなりません。
困ったことです。
といったところで、本日はここまで。ご機嫌よう。
4月11日(日)今日名古屋市長選挙が告示された。
ドストエフスキーの『虐げられた人々』は第二章が3頁しかなかったので読んで第三章に入り、328頁です。
ようやく明日提出する文書を作り終えたので、しばらく休みたいと思っていたら、高橋さんの最終準備書面PartⅡをあしたからつくらないといけません。これでは当分、のんびり読書三昧なんてできませんね。
娯楽読み物は別で、黒川博行氏の『桃源』は眠る前が主ですが、36頁まで読みました。石垣島が舞台となるようで楽しみです。塩野七生さんの『マキアヴッリ語録』は電車に乗っている時間だけ読んでいるので、在宅勤務の日はまったく読みません。なので174頁です。
なんだか、読書記録ノートといった風になっています。本日もこんなところで、ご機嫌よろしゅう。
4月8日(木)名古屋市長選挙では、お辞め下さい、河村たかしさんで。
今日までの仕事を来週月曜日まで延ばしてもらい、なんとかやり遂げていこうと思っています。といいながら、絲山秋子さんの『ダーティワーク』という短編連作を読み終えました。塩野七生さんの『マキアヴェッリ語録』はポケットに入れて持ち歩くので、カバーが破れてボロボロになっていますが、164頁まで読みました。高校3年の時に『君主論』は読み、文庫版の『フィレンツェ史論』は持っていたけれど読まずに処分、『政略論』はなんか中央公論社の世界の名著に入っていたかも知れないのですが、読んでいなかったのでそれなりに楽しんでいます。『虐げられた人々』は第1章止まりで、遅々として進まずどころか完全に停止中です。
4月に入って今日はもう8日です。『ダーティワーク』は後半がよくなってきて、花屋はブーケをつくってるときはたいしたことないけれど、TTと呑んでるときはその辺にいる神様(海と仙人にでてくる神様)のように冴えてるおっさんで、熊井のヌード写真なんかはちょっといいイメージです。こういう、やるなっていうキャラクターの人物が生きている感覚が絲山さんにはあるので、読んでいていいです。人間が生きている中で他者の意識をとらえ理解するということの直感的刺激、とか、あると思うのです。
まぁ「勘 」と言っていますけれど、人のこころがある程度読めるとか、察する力があるとか、そういう鋭さというものが、リアリティとして出てくるとか、作家の書いていることが、ことがらにしろ、人間観にしろ、深いなぁ、というものがあるものはいいのです。読んでいて快感であったりします。刺激が来て化学的な快楽物質が分泌されるのかもしれません。
明日も仕事に頑張りますので、今日はこれくらいで、ご機嫌よう。