3月25日(木)ミャンマーではクーデターを起こした国軍に対するサイレントストライキがたたかわれています

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民主主義革命の花が次々とひらいてゆく

今朝はFM愛知の高橋さんのWeb裁判があり、傍聴させて頂きました。そののち、牧野さん・高橋さんとエスカの地下にある喫茶店で紅茶をいただきました。そして、「かもめ」に行って整髪してもらいました。

あぁ仕事したくない、疲れるから仕事はやりたくありません、という気分です。

名古屋市長選挙は、河村市長と岩城さんとの一騎打ちだったら問題はおこらず、こじれることもなかったかもしれませんが、横井自民党市議が河村市長との対決においてのイニシアティブを取るために(政治的ヘゲモニーの追及は保守政治家にとっても本能的な野心なので)立候補表明し、岩城氏がそれをみて三つ巴となって河村氏をやめさせる好機を逸し河村氏を利する結果を招くことはできない、と立つことを断念・固辞された、という経緯をたどっています。名古屋市民の投票行動として、岩城氏の立候補断念という側面から見ると失望から始めるようなこととなりかねないので、横井氏に対する恨みがにじみます。実際、横井氏に対する革新勢力の目は厳しく、的じゃないのかといえ評価が多くあることは当然の事実です。しかし、岩城氏の行動が正しい情勢判断であり正しい決断であるとみるなら、ふたりのファシストのどちらを選ぶかというとらえ方に類した判断はできず、積極的に横井氏を河村氏を倒すための要求と政策の実現者に変えていくようなたたかい方が必要であり、まず河村氏を倒すことへ向けて情勢認識を整理するしかありません。候補者が三つ巴になったら、河村氏がまたしても勝つことになるのでしょう。オール沖縄での翁長さんのような人物に横井氏が化けてくれればいいのですが、失望から始められないのと同様に、期待だけから始めることもできません。なんにしてもこれも運動です。29日・30日に革新市政の会の方向が決まりますが、名古屋市長選挙は名古屋市民が有権者で、その投票行動をトリエンナーレ潰しや大村県知事リコール運動によって市民の尊厳と権利をゆがめてきた河村市長に責任を取ってもらう結果にしていくことが必要ですから、自主投票などというぼけた形ではなく、敢然とたたかう選挙にしていくことが必要です。

民主主義は手間がかかり、疲れることも多いのですが、それは避けて通れないものと覚悟してのぞんでいくことが大切だと思います。

絲山秋子さんの『ダーティワーク』1つめの「worried about you」を読みました。この題は、直訳するとあなたのことを心配しました、とよめばいいんでしょうか。

死の家の記録』は相変わらず遅々として進みません。

本日はこんなところで、ご機嫌よう。