2月13日(日)新しい人よ、目覚めよ!という持続する志をすべての人々と共に生きるなかで絶えず思い起こしています

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年輪を重ねるほどに輝いていくのはたたかっているという人生の誇りなのかな

 本日は午前11時15分頃から憲法と平和を守る愛知の会の宣伝行動、そして正午からは労働者後援会の宣伝行動に参加させて頂きましたので、交通費は240円×2の480円です。

朝はピュアな水200㏄と、十勝の飲むヨーグルトを350㏄。お昼はハンバーグランチで、780円、夕食は牛しゃぶ、チキンささみフライ、トマト、ご飯で1,000円、食費小計は1,780円で、支出計は2,260円でした。

 

自分も年々、年を重ねてきたので、年寄りがたたかっているのを見ていると、ガンバットルなぁと微笑みが浮かんできます。どうして嬉しいのかな。老害だ、と大声で3度もあるとき、あるひとが言い放ったことがあって驚きました。自分よりもその人の方が年上でしたからね。それが果たして自分に言われたことなのかわかりません。しかし、世の中にはそういう「老害」という言葉もあり、そういう言葉を使う人もいるのでしょうが、自分は使いたくない言葉だな、と感じます。どうしてかと言えば、他者をけなしたり、貶めたりするときはもっし気のきいた言葉、微笑ましい言葉がありそうなもので、とげとげしいとか、憎々しいとかあまり悪意よりも滑稽感のある言葉の方が良いんじゃないかな、と思ったりします。

ドストエフスキーの小説で使われる言葉には、そういうものがよくあったり、ただ人物描写ということについてさえ、恐ろしく顎が突き出た男、だとか読んでいて吹き出しそうな表現があったことを思い出します。

今日はさっきまでノートパソコンでZoomの接続テストをやっていましたが、コロナ禍のもとでの在宅勤務もひろがり、会議でも一般的となりつつあって、昔からあったテレビ電話のようなSkypeと、やっていないのでどう違うのか分かりませんが、ヴァーチャルでいいことなんてゲームみたいなものになって、現実感が乏しくなるばかりじゃないのかな、と感じます。しかし、最近はPCにずっとむかっていると、疲労が内部に鬱積するような。なので、今日もここまでということで、ご機嫌よろしゅう。