2020年2月23日(日)あと1週間で完了

本日は演奏会に出掛けました。交通費は230円×2で460円です。食事は、朝200㏄の水+だんご3個で100円、昼は海老ピラフのみ600円、夕食は刺身盛り合わせと鰆の塩焼き・豚汁・ご飯で760円、食費の小計は1,460円。演奏会の参加費は1,500円。演奏の帰りに鶴舞の大学道に立ち寄ってしまったため、古書2,000円。支出の小計は5,420円で累計は78,731円となりました。

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ドストエフスキーの『賭博者』に続いて読み始めたものはフランツ・カフカの『失踪者』で昔は『アメリカ』という題で訳されていました。カフカの未定稿は有名な『審判』も『訴訟』と表題が改められています。『失踪者』は現在、まだ「Ⅰ 火夫」の18ページです。

そんなふうに昔読んだ海外文学の古典のようなものを読み返すのは、すっかり中身を忘却してしまっていて、読んだとも読んでないともまるで言えないようなおぼつかない記憶の中からあらためて今日の意識のもとでどのような感覚が生じるか、それは昔読んだときのものとどんな風に違いがあるかを振り返ってみる試みでもあります。

『賭博者』は、戦後禁止されてきた賭博行為を日本政府が特定地域で始めようとして法律をつくって、その推進過程のもとで中国の習近平の息のかかった企業から自民党議員が贈収賄疑惑を引き起こしており、それが安倍内閣の命取りともなりかねないと噂されている状況にある中で、あらためて賭博行為の犯罪性やそれが金銭感覚の麻痺や依存性など、ひとを狂わせる要因が極めて濃いという事実をうあ木彫りにするうえで多くの人に読まれるなら、ドストエフスキーが単純に悪と醜さをむすびつけてとらえ表現しているなどといった一面的な理解にとどまることなく、まさに悪の中に善を見いだすなど、現実の複雑さをリアルにとらえつかみだしていることをよく知ることができます。

現実の中でけっして解かれない信仰と革命といった事柄についての理解もそうであれば、人がパンのみに生きるにあらずと言えども、パンなしに人は生きることも能わずということも、単純で一面的な理解ではないからこそ、その複雑さの内部に高度なパラドックスが生き生きと活きている人間と、人間の認識・意識についての、また欲望についての深くかつ激しい希求のあらわれが読みとれるから、ドストエフスキーの文学は素晴らしいのだと思います。

つまり、文学は、いかにも結論の出ない、出にくい、あるいは出さなくてもいいこととか、人間が知らなくてもいいこと、あるいは知ってはならないこととか、そうしたことも表現するから、素晴らしいとも言えます。

今日の演奏でウルフルズの「ヒーロー」がうたわれましたが、この歌は好きです。